指先から、とけていく

さとっていない世代の日記

モノを捨てる

のが非常に苦手である。日本人だから仕方ないのかもしれないが長く使った品には『何か』いる気がしてうまく捨てられない。洋服、靴、財布、定期入れ。使った時のことをいちいち思い出してしまって全く捨てられていない。風水がどうというわけではない、気に入ったものは長く使いたい性質だし、今の財布もとっくに3年以上使っていて、少し(と思っている)汚れている。ただ、なんとなく、別にジッパーが壊れているわけでもないのに、まだ今日も仕事してくれているのに、それをゴミ箱に入れるのに抵抗があるという話。

 

ネットの海千山千の情報の中から納得できたのは、ゴミ箱に入れる際に白い紙で包んで捨てるというのだった。始めは神社とかに持っていけば良いのか、と思っていたし、実際にそのようにモノの供養をしてくださる神社はあるのだが当然玉串料が必要。当方学生の身分、それにこれから一生そのようにするのはなかなか大変である。

それにくらべれば、白い紙、できれば和紙とか書いてあるが、に包んでお休みになってもらうようにすれば…ゴミ箱に入れることの抵抗感が確かに減る。他のよくわからんゴミと触れずに燃やされてくれるなら少し安心できる。これでいこうと思う。靴とかも新聞紙に包んでから捨てたら少しは供養になるだろうか?

都合の良い嘘

普段自分のことをあまり嫌いにならないように、短所に目を瞑ることが多くなった。

 

写真を撮ると客観的に不細工な顔に向き合う必要に駆られて非常に辛い。一緒に写る友人は普段みているままの姿でうつっているのに、その横に自分は普段鏡の中に写っていると思っていた自分より随分不気味な顔で写っている。なんというか、鏡の前で自分のことを好きでいられるような強力な催眠をかけているらしいことに最近気づいている。

 

ので写真を撮られるのがすこぶる嫌いだ。

読書(2)

福田恆存氏の訳は一定のファンがいる。時代を戻れば坪内逍遥、下れば小田島雄志。この2人は演劇を重視した訳(坪内逍遥については歌舞伎調)だそうだ。少し気にはなる。ソネット集も読みたいが、フロムの自由からの逃走を先に読もうかと。

 

作品社からの日本の名随筆シリーズ、高くて手が出ない。本にお金は惜しみたくはないがいかんせん学生の身分、kindle青空文庫で一部か読めそうなのでそれを試そうかと思っている

 

下書きが消えてぶっきらぼうな文章になってしまった

 

空気

初秋の透き通った風、ずっと続けばよいのに。空は染み込んでくるような鮮やかさを地上の生き物に注ぎ終わって、高く明るさを増した青さを広げている。久しぶりに朝に目が覚めて、今日1日で1番素敵な時間を噛み締めていた。

遅刻

見通しというのがとことん甘い。きょうも遅刻をしてしまった。社会人としてやっていけるのだろうか

ライブ

perfume好きなんですが、彼女たちの『キャラクター』に忠実である感じ、日本らしいなと思います。彼女たちのルールの中に、黒髪であること、できるだけ日本語の歌詞にこだわることというのがあります。後者については例外もありますが。

 

彼女たちは作詞も作曲もしませんが、パフォーマー、ダンサー、歌手を兼業している感じです。アイドルとはあまり言われていないけれど、要素がないわけではないと思います。ただ、歌曲、踊りの振り付けもオリジナルではないですから、『表現の一次生産者』にはならないんですよね。本人たち的には思うところがあったりするのでしょうか。少し気になるところです。彼女たちはトレードマークともいうべき正確なダンスを踊り、電脳の世界観と親和するテクノサウンドでこれからも進んで行くのでしょうか?恵まれた容姿もあるし、他の表現方法に挑戦して成功してくれたら良いのだけど、と思ったりもします。自分が中田ヤスタカに少し飽きているだけなのかもしれません。彼女たちのアイコンとしての完成度は大好きなのですが。

 

スガシカオさんのprogress、良かった。夜空ノムコウも演奏してくださったのですが、未来と言う言葉がこの歳になってもどうも受け止められていない。1日1日の積み上げの先に、望む未来が存在しうる、確実ではない。しかし1日1日を無為に過ごしてしまわないためにも、『理想の未来』というのを持っていたいと思います、持っていませんが…。望む未来を想像する力を育んで来るのをサボってきてしまいました。

 

歌詞の言葉を借りれば、誰も知らない世界に進んでいくことが勇気、と。未来は誰にもわかりませんね、勇気がなくてもなんとなく生きていられてしまう自分には『僕と君の甘酸っぱい挫折に捧ぐ、あと一歩だけ前に進もう。』などと言ってもらえる資格はまだないような気がします。

 

懺悔みたいになってしまった